藤の花 ~ 足利又太郎忠綱の悲劇

藤は日本古来の花と思いましたが、中国にも仲間があります。一般にフジといわれるのはノダフジといい、大阪の福島区野田が発祥の地とのことです。ノダフジ以外に、ヤマフジというのもありますが、これは普通のフジより、花序が短いです。

中山法華経寺の藤)
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いずれも、他の木に蔓で巻きついて伸びていきますので、よく管理された山林では早くに刈りとられてしまいます。だから、野生のフジは、管理されていない薮のような場所に生えていることが多いです。

一般には藤棚を作って観賞用とすることが多く、ちょっとした公園やお寺などでみることができます。足利フラワーパークには、枝の広がりが517平方メートル(畳で500畳分)の大きなフジの木があります。

実は足利には藤にまつわる伝説があります。源氏の足利氏が勢力を振るう前には、藤原秀郷の子孫である藤原姓の足利氏がいて、足利近辺の荘園をおさめていましたが、源平の合戦の頃に平氏についたようです。この藤原姓の足利氏は、源氏の足利氏が台頭してくると、地頭職をめぐって争ったりしましたが、藤原姓の足利氏のほうが優勢でした。

やがて、源氏の世の中となり、1196年(建久7年)には藤原姓足利氏の足利又太郎忠綱が、思いもよらない嫌疑をきせられました。この人は身長が180cmくらいある当時では超ビッグな豪勇無双の武士で、平清盛からも高く評価されていたひとです。平家物語にも、足利又太郎忠綱が宇治平等院に斬り込んでいくシーンがあります。その足利又太郎忠綱が無実の罪がはれるよう祈願のおり、天満宮の社前に逆さに刺したまま置き忘れた鞭代わりの藤の枝が芽をふき大木になったことから、その天満宮は「逆さ藤天神」と呼ばれるようになりました。今も、それは鑁阿寺の北側にあります。

(足利の鑁阿寺
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実は、その嫌疑とは源氏のほうの足利氏当主である、足利義兼の奥さん・時子(北条政子の妹)との間の不倫疑惑。これはまったくの濡れ衣だったことが後で分かるのですが、時既に遅しでした。

藤原姓足利氏は、家臣の裏切りもあって、その忠綱が逃げ隠れた桐生の山の中で捕まって斬られると、分家(佐野氏、山上氏、大胡氏など)は残りましたが、断絶してしまい、今では足利氏というと、源氏の足利氏しか思い浮かばないほど、藤原姓の足利氏は忘れられた存在になってしまいました。足利又太郎忠綱が捕まった場所は皆沢といい、後に無実で斬ったことを知った足利義兼によって皆沢八幡宮という、八幡様がその場所に建てられました。

足利又太郎という名乗りは、後に源氏の足利氏のなかでも使われるようになりました。その源氏のほうの足利又太郎は北条高時から高の字を与えられて、足利高氏と名乗りました。つまり、足利尊氏です。それは、豪勇無双といわれた足利又太郎忠綱にあやかってのことでしょうか。

(関係ないけど、新幹線からみた富士山)
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なお、足利又太郎忠綱に関する伝説は、結構あります。例えば、以下。