大阪の旧軍遺跡を見に行く(おまけ)
おじいさんが大隊長をしていた高射砲部隊のあとをたずねて、最後には高射砲の砲台が不法占拠されていたことを知り少しショックだったあたし、甲東園に住んでいるおじさんたちと翌日おじいさんのお墓参りに行きました。
元陸軍少佐だった、おじいさんの住んでいた家は、古い家でおばあさんがなくなってから、誰も住んでいません。おじさんが時々入って庭木の手入れや掃除などしていますが、「広東攻略」と書いた掛け軸が薄暗い部屋のなかにかけてあり、江戸時代に画家が描いたという山水画のふすまはそのままで、本棚には金文字の背表紙の本がびっしり並んでいます。庭は庭石や大きな松があり、けっこう風流な趣味でつくられていますが、雑草が生えてくるので、手入れが大変だとおじさんは言っていました。この家に、誰も住んでいないなんて勿体ない感じ。でも、丹波の田舎から福知山線で大阪のほうに出ようとしても、昔は結構時間がかかったし、仕方ないのかな。
高射砲の砲台に不法占拠者が住んでいるなんて、いやでしたが、その人たちが住んでいたから、砲台も残ったといえば、そうなのかもしれません。もっと、国や大阪府か大阪市で保存の動きをすれば良いのにと思いますが、ほかに優先課題があるからか、お金がないのか、お役所は動いてくれてないようです。
(大阪砲兵工廠の門にある碑)
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/aikokunohana1938/20010101/20010101003740.jpg)
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/aikokunohana1938/20010101/20010101003740.jpg)
大阪城の周りの砲兵工廠の建物も、取り壊そうと思えば、すぐに出来るんじゃないでしょうか。今はなにげなく見ているものも、なくなってしまえば、もう取り返しがつかないのです。
そう思うと、たいしたことないかも、と思っていたものも見直したほうが良いのでしょう。
残っている建物は、表門をはいって正面にある小さな建物と化学分析場跡だけですが、ほかにも何かの基礎部分と思われるものがあったり、部材の一部も残っています。「アパッチ族」の人たちが取り残したのでしょうか。
そう思うと、たいしたことないかも、と思っていたものも見直したほうが良いのでしょう。
残っている建物は、表門をはいって正面にある小さな建物と化学分析場跡だけですが、ほかにも何かの基礎部分と思われるものがあったり、部材の一部も残っています。「アパッチ族」の人たちが取り残したのでしょうか。
(砲兵工廠跡にあった何かの基礎の残骸)
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/aikokunohana1938/20010101/20010101003750.jpg)
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/aikokunohana1938/20010101/20010101003750.jpg)
レンガ造りの化学分析場跡も、今のように放置せず、もっときれいになれば、文化遺産になるかもしれません。
京橋へむかう道沿いに、アーチ状の出入り口があって、レンガでできた化学分析場跡に行くことができるようになっています。つたが絡まって、わびさびって感じ。
京橋へむかう道沿いに、アーチ状の出入り口があって、レンガでできた化学分析場跡に行くことができるようになっています。つたが絡まって、わびさびって感じ。
(砲兵工廠のアーチ状の出入り口)
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/aikokunohana1938/20010101/20010101003800.jpg)
![イメージ 4](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/aikokunohana1938/20010101/20010101003800.jpg)
これも戦争遺跡と言っていいのか分かりませんが、大阪傷痍軍人会の石碑があり、「永遠の平和を願って
人間にとって、戦争ほど恐ろしいものはありません。その苦しみや残酷さを知った戦傷病者とその妻が永遠の平和の願いをこめて植樹し、この碑を建てました。どうかいつまでも知っていてください。」と書かれていました。
人間にとって、戦争ほど恐ろしいものはありません。その苦しみや残酷さを知った戦傷病者とその妻が永遠の平和の願いをこめて植樹し、この碑を建てました。どうかいつまでも知っていてください。」と書かれていました。
「永遠の平和」とは、この問いがいつまでも繰り返されます。