復讐のため政治家になった男性

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昔、関西のあるところに、苦労して勉強し弁護士になった男性がいました。
実は、その男性は差別される家庭に育ち、名字まで変えていました。 それは、河原に住む差別される人たちを連想させる名字だったからです。 学校にはいっても、給料の良い会社のサラリーマンの子や、特に公務員の家の子からはばかにされていました。 家が貧乏で、お父さんは問題ばかり起こしていたから、役所でも評判で、その役所に勤めている公務員の父親を持つ子の中には、彼のお父さんがどんなことをしたかも知っている子がいたのです。 子供は正直で、一面残酷です。 そういう話は、すぐに評判となり、彼のクラスのだれもが知っていました。 
 
でも男性は、貧しい暮らし、行いの悪い身内、そういう環境から必死で抜け出そうとしたのです。 苦学して司法試験に通り、目指していた弁護士になると、努力して自分の法律事務所を作り、大勢のスタッフを雇いました。しかし、その男性はちょっとしたことでも部下を叱りつけたり、怒鳴ったりする一面を持っていました。人の嫌がること、人を傷つけることを平気で口にすることもありました。 それは、自分で嫌っていた、素行の良くない自分の近親者そのままだったのです。 
 
でも、彼は大勢の人の前では、さわやかな青年らしく振舞い、人からは明るいタイプの、ちょっと型破りな法律家だと思われていました。 そこに目を付けたテレビ局は、彼をタレント弁護士として法律相談の番組に出したり、バラエティー番組にも出演させました。 そういう番組ですから、多くの人の人気を得て、いつの間にか、その男性はただの法律家ではなく、政治家になろうと思うようになりました。
 
ある日、いつものようにテレビ番組に出演していた男性は、外国人タレントのジョークコーナーを番組ジャックして、その番組をおり、タレントのような活動をやめると宣言し、さっさと帰ったのです。 生放送であり、司会のタレントも呆然として見送りました。
おかしな行動が、世間の人の目にうつったのは、それが最初のことでした。 でも、そのことはあまりマスコミでも取り上げられずに、その男性はいつの間にかテレビの世界から姿を消しました。
 
そのテレビから姿を消したのは一瞬のことでした。実は、彼はとんでもない行動をはじめて、それで一瞬テレビの世界から自らでていったのです。
なんと、テレビから姿を消したのは、日本人団体による中国広東省珠海市での集団買春問題に関して、「日本人による買春は中国へのODAみたいなもの」と発言したからです。その後もおかしな言動をして、よく話題になりました。

特に、山口県光市母子殺害事件弁護団懲戒請求を行うよう、テレビの視聴者に呼びかけたことに端を発し、いろいろ騒動が起きました。その光市事件弁護団から訴えられた訴訟では、法廷に出席することもなしに、弁護士仲間のたわいのない喧嘩なんだと釈明しました。
 
「たまたまメディアが取り上げてくれているけど、本質的には、弁護士間の大人げないくだらない痴話げんかなんだよ!!
分からないのか!!もっと謙虚になれよ。俺たちは刑事弁護人の在り方を論じる重要な裁判をやってるんだって堂々と胸を張るんじゃねーよ。ほんとしょうもないことやってすみませんっていうのが、今回の、俺たち弁護士がとらなきゃならない態度だろ!!」、それが彼の言い分でした。 
 
その辺で、もうこの人物はおかしい、異常だと気づく人もいたのでした。 しかし、見た目の明るさもあり、マスコミからも暗い、歪んだ言動は余り伝えられず、面白おかしく言われがちであったため、彼の人気は衰えませんでした。

そして、急に大阪府知事選挙に立候補したのです。 それも、自分は絶対にでない、2万%ありえないと言った、その舌の根も乾かないうちにです。
彼は、大阪府知事に当選し、今では大阪に牙城を築きました。 それは、独裁者が率いる軍団であり、かつて彼の一家を差別した大阪市役所の役人たちに復讐するための暴力装置です。 彼に逆らった役人を処刑するのが、これからの彼の仕事です。
 
その復讐心は、河原に住むホームレスを連想させる元の名字を、別の名字に変えた時から、はっきりと彼の胸の中に去来するものでした。