エルベ河 ~「なつかしいソビエトの地」

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「エルベ河」という歌は、第二次世界大戦ソ連軍がドイツからの攻撃をはね返し、反攻に転じた頃、ソ連軍とアメリカ軍がエルベ河のほとりで出会い、両軍の兵士たちが「青年は二度と戦争で相まみえない」という「エルベ河の誓い」を行ったことを題材にして作られた「エルベ河の邂逅」(1949年)の主題歌です。これは歌声運動で日本にも紹介され、多くのひとに歌われました。あたしも、学生のときに、この歌をある歌声の店で聞きました。

ファシズムを倒したソ連。そのソ連が日本に与えた影響は、それなりに大きかったと思います。

それは世界最初の社会主義国としてというのもありますし、ナチスドイツを滅ぼしたという反ファシズムの面もあります。冷戦時代には、アメリカに対抗する一方の陣営の盟主でした。しかし、一方いろいろマイナス面もありました。戦後ではソ連から日本への様々な政治的な干渉があり、社会党へ資金を提供するとか、1960年代の初めには部分核停止条約の締結を押しつけるために色々策動するとか、マイナス面も大きかったのです。ソ連は、国際的には日本への工作のほかに、アフガンへ軍隊を送って政権を倒したり、覇権主義的な行動をとり、世界の大きな不信を招きました。国内でも、ゴルバチョフさんの時代に政権への信頼をうしなうとともに、ウクライナベラルーシなどの共和国が独立の動きを活発化し、それにエリツィンさんのロシアが加わって、連邦を維持できず、1991年についにソ連崩壊となりました。これは、「自滅」といってもいいでしょう。

アンドロポフさん、チャルネンコさんの時代は、短かったですが、一番良い時代かなと思います。もしも、ゴルビーではなく、そうした人たちが長生きして政権を担当し続けたら、まだソ連は続いていたかとも思いますが、歴史に「もしも」はないのです。やっぱり、ソ連は崩壊すべく、崩壊しました。

でも、エルミタージュ美術館の絵とか、バレーとか、音楽など、いろんな文化的なことが、日本に入ってきたのは、ソ連の時代です。かわいいマトリョーシカ人形、くまのぬいぐるみなど、子供にも親しみのあるものも多かったのです。

あたしの家には、昔の「今日のソ連邦」というおおきな雑誌が残っています。お父さんがまだ若いころに、どこかでもらってきたものです。それは、ソ連の女の子が日本の折鶴を手にして微笑んでる写真が表紙になってるもの。良い写真で、ほんとによく撮れています。今も、かつてのソ連の文化を担っていた人たちは、ロシアなどにいるかもしれませんが、昔のような国家が保護し、援助してくれるような状態にはないのでしょう。昔は、悪いことも多かったのですが、社会主義の理想を掲げていたことは事実で、今はそれがないわけですから、失望している人も多いでしょう。

YouTubeで「エルベ河」の歌を捜したら、歌声喫茶か、その延長のような映像ばかりでした。この歌はスターリン時代の名残だとか、いろんな批判があるようですが、あたしの好きな歌の一つです。



YouTubeの映像で、前で歌っているちょっとふくよかな女性がうつっていますが、もちろんあたしではありません。たぶん、歌声関係の歌手の人だと思います。

他にも、YouTubeで「エルベ河」を取りあげたものはありましたが、映像が上下にゆれていたり、おじさんの頭がうつっていたり、なんか普通の飲み会の映像に近いものがおおかったので、おとなしい映像ですが、掲示したものにしました。それにしても、高齢者が多いです。別に高齢者を集めたパーティではなく、歌声の行事をやったらそうなったんでしょう。今は若者は、殆どお酒も飲まないし、みんなで歌も歌わないのです。

♪なつかし、ソビエトの地~

今となっては、すごい歌詞かもしれません。