ああ武田信長公
クイズ:
以下の人物で、実在の人物は誰でしょう? 1.武田信玄 2.武田信長 3.猿飛佐助
正解は、1と2です。
あたしも、木更津市内にある、武田信長さん関係の真里谷城跡に行ったことがあります。
実は、武田信長という人は15世紀、室町時代中期の武将で、甲斐の守護大名武田信満さんの子でしたが、お父さんが上杉禅秀の乱に巻き込まれて、自決。叔父さんの武田信元さんやお兄さんの信重さんは高野山で出家遁世し、甲斐の国は武田氏の一族である逸見氏が牛耳ることになりました。
そこで、武田信長さんは挙兵し、逸見氏を追いだしたのですが、足利持氏さんがこの行為に怒って、大軍を送ったため、武田信長さんは降伏。その後、武田信長さんの叔父さんである武田信元さんが復活して、甲斐の守護になり、信元さん引退後も、お兄さんの信重さんが継いで、武田信長さんの系統が甲斐の守護になることはありませんでした。(*2009.4.1修正:信元さんと信重さんが逆でした)
そこで、武田信長さんは挙兵し、逸見氏を追いだしたのですが、足利持氏さんがこの行為に怒って、大軍を送ったため、武田信長さんは降伏。その後、武田信長さんの叔父さんである武田信元さんが復活して、甲斐の守護になり、信元さん引退後も、お兄さんの信重さんが継いで、武田信長さんの系統が甲斐の守護になることはありませんでした。(*2009.4.1修正:信元さんと信重さんが逆でした)
武田信長さんは、上杉氏と対立して鎌倉から古河に出て行った足利成氏さんに仕え、その古河公方と呼ばれた足利成氏さんの命により、今の千葉県の上総に行ったのでした。そこで、上総の小豪族を駆逐し、武田信長さんは庁南と真里谷(まりやつ)に城を築いて拠点としました。のちに子孫は庁南と真里谷で、それぞれ発展しました。要は、武田氏は千葉県中部で戦国大名になったのです。
今の千葉県には、他に下総に鎌倉以来の名門である千葉氏や安房には新興勢力の里見氏がいましたが、上総は武田信長さんの系統がおさめました。
その武田信長さんの子孫、真里谷信保さんは、古河公方の兄弟で古河公方と対立していた足利義明さんを呼び寄せて大将とし、下総の小弓城を攻めました。そして、小弓城にいた千葉氏系の原氏を追い出し、小弓城には足利義明さんが入って、小弓公方と呼ばれました。この小弓城奪取がきっかけで、国府台合戦がおこります。
下は真里谷城の主要部分ですが、お城といっても建物が残っていないので、ただの広場みたい。でもキャンプ場もあり、アウトドア系の人は楽しめるかも。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/aikokunohana1938/20010101/20010101012440.jpg)