ロシアの母子歌手、アーラ・プガチョワ、クリスチーナ・アルバカイテ

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アーラ・プガチョワさんといえば、旧ソ連、ロシアを代表する女性歌手。こんな人は、今の日本ではいませんが、存命中の美空ひばりさんみたいなもの。

なにしろ、すごい経歴の持ち主です。

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アーラ・プガチョワ
1949年4月15日 モスクワの農家に生まれる。
1965年中学生のときにラジオ番組で始めて歌を録音。
音楽学校指揮・合唱科を卒業後、1981年ルナチャルスキー劇場芸術大監督科に入学。
1966-67年ラジオ番組の宣伝のために地方公演をする。その後サーカス・歌謡芸術学校のコンサートマスターを勤めた。
1970年からプロのソロ歌手・女優となる。
1975年 フェスティバル『ゴールデン・オルフェウス』で、グランプリ受賞。受賞曲は『アルレキーノ』。
1977年映画『歌う女』で主役。その後、フィンランド、スェーデン、フランスでも映画出演、、コンサート活動も活発化。
1995年末の『ペースニャー'95 』以降、ソロ活動休止宣言。
友人タチアナ・スネジンカの事故死の追悼のために、彼女の歌を歌って歌手として復活。その曲は『パザビー メニャ サボイ』
現在も国内外でのコンサートなど、音楽活動を精力的に継続。その長年の音楽活動は、ロシア最高の女性歌手として評価され、ソ連人民芸術家、ロシア人民芸術家の称号を得る。

日本では、『百万本のバラ』をうたった歌手として、有名。

その歌は、YouTubeにもありました。いろんな国で歌っているので、結構たくさんあります。





実は、アーラ・プガチョワさんは結構若い時に子供をもうけており、それが愛娘のクリスチーナ・アルバカイテさん。

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このクリスチーナ・アルバカイテも、もう41歳くらいのようですから、あんまり若くありませんが、お母さんが大歌手なので、いろいろプレッシャーや外からの目で悩まされたかもしれません。まだ、お母さんが売れない頃は、お母さんに手をひかれてドサまわりをしたようです。でも、お母さんが大歌手になってから、本人も歌手デビューしましたが、親の七光のようにいわれ、生意気なところがロシアで多少嫌われているかも。でも、歌を聴けば分かるとおり、実力派です。
YouTubeに、その彼女の歌がありました。



ちなみに、アーラ・プガチョワさんの元夫であるフィリップ・キルコロフさんと、このクリスチーナ・アルバカイテさんは幼稚園の同級生。つまり、アーラ・プガチョワさんは、文字通り親子ほど年のちがう、年下男性と結婚したことになります。

これは、びっくり。もっと、びっくりは、ご本人はまだまだ恋愛関係も現役らしいこと。歌の女王は、私生活でもすごい?