有楽町で逢いましょう

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歌手のフランク永井さんがおなくなりになりました。

フランク永井さんといえば、「有楽町で逢いましょう」。これは、作詞:佐伯孝夫さん、作曲:吉田正さん、唄:フランク永井さんで、1957年(昭和32年)の歌。あたしは、もちろん生まれておらず、この世に影も形もありませんで、お父さんもまだ若かった頃の歌です。あたしは、フランク永井さんの歌をリアルタイムできいたことは、もしかしてないかもしれません。

有楽町のシンボルといえば、今はマリオンでしょうか。銀座と有楽町の境目があのあたりと、あたしは思っていますが、有楽町マリオンも銀座と思っているひともいるのでは。JR有楽町駅を降りて、有楽町駅銀座口から有楽町マリオンを抜ければ、丸の内線銀座駅はすぐ目の前です。

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この有楽町と銀座って、ほとんど同じ場所なのに、だいぶイメージが違いますよね。だから、なるべく銀座って名乗りたいお店も多いかも。JRでは銀座に行くには、有楽町かお隣の新橋から行くしかありません。どちらもサラリーマンの町。高架下では、焼き鳥の煙がもうもうです。銀座にいくには、サラリーマンの町を通らねばならないのだ。なーんてね。

この「有楽町」というと、終戦直後は闇市がたっていて、そのあともずっと、赤ちょうちんの屋台なども出ているようなところだったそうです。今の高架下など、ちょっと雰囲気がありますね。

また、今は違いますが、終戦直後など、ちょっと危ない場所だったそうです。ラクチョウなんとかというお姐さんがいたりとか。夜の女が集まっていたり。

その有楽町に、大阪に本拠をおくデパートの「そごう」が出店しようとしたときに、有楽町ではイメージがわるいという声もあったそうです。そこで、「そごう」が考えたのは、イメージアップ作戦。

それで、大映に「有楽町で逢いましょう」という京マチ子さん主演の映画を作らせ、その主題歌を歌う歌手としてフランク永井さんを選びました。だから、この歌は映画の主題歌だったのですが、大ヒットし、歌だけが語られるようになりました。ビルのほとりのティールームで、甘いブルースのような雨音を聞きながら、女性と待ち合わせるなんて、当時の若い男性のこころをすごく刺激したと思います。

また、有楽町は読売新聞などの新聞社の本社が置かれたことにはじまり、多くの企業の本社が集まってきたため、本社のひとはいつもの有楽町で飲み会、地方の支店や工場のひとは、いつかは本社にいくぞとか、同期会は本社のある有楽町でという意味で、宴会ソングになったんだそうです。だから、ずっと後まで歌われたということがあります。

でも、有楽町のそごうはなくなって、そのあとはビックカメラになりました。

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周囲も、どんどんビルが新しくなった感じ。

でも、なぜ有楽町ビルヂングとか、新有楽町ビルヂングっていうのでしょうか。「ビルディング」ではダメなの?なんか、レトロっぽい。