川は流れる橋の下

イメージ 1
 
川は流れる橋の下。 こんにちは、五木ひろしです。 なーんてね。 すごい懐メロ。
 
平日は毎日、江戸川を鉄橋の上からながめて、千葉県から東京都内に通っています。
江戸川からは国府台のほうを眺めて、そして都内にはいるとスカイツリーとか富士山とかを見て、今日は晴れてよくみえるとか、曇りだからなんとなくどんよりしているなとか、ぼんやり思いながらいつの間にか電車は地下にはいって、あとはせかせかと乗り換え。
 
昔、江戸川は太日川といって、利根川は江戸川と併走するように流れていたとか。 もっと大昔には古東京湾というのが、野田とか三郷のほうに食い込んでいたらしいです。
市川では中世まで入江があり、今の市川駅は昔は海の底だったみたい。真間川がその名残でしょうか。
そういえば、真間に継橋という万葉集の名所がありますが、低湿地だったようですね。
 
市川市のお隣の船橋市の北のほうから、市街地を流れる海老川。船橋大神宮の西側を通って、東京湾に注いでいます。
 
これも、ずっと昔は船橋大神宮の南から西側、さらにその北の市場がある部分は、入江になっていて、今の本町通りにあたる辺りが狭かったので、船を連ねて橋にしたところから、船橋という地名がついたそうです。 江戸時代の初めには入江ではなく、川になったようで、船橋大神宮の西側も人が歩いて通行できるようになり、徳川家康の命令で東金御成街道がつくられ、大神宮の横の宮坂を切り開く形で、ずっと東にのびました。
 
今海老川は小さな川ですが、昔はもっと川幅が広かったかも。 海老川にはたくさん橋があります。
 
共産党の丸山慎一さんが、YouTubeで詳しく解説していました。 さすが、調査の共産党ですね。