日本兵も米兵も戦死者は皆平等

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森兵男さんのHP、千葉県の戦争遺跡 http://www.shimousa.net/ の「房総の海軍基地」のなかにある木更津で撃墜されたB29の搭乗員の慰霊碑を、地元の人がひそかに建てていたという話、感動しました。

戦時中、みんな軍国主義に染まっていて、捕虜になった米兵を日本の軍人や民間の人までもが虐殺してしまったり、遺体をさらしたり、ひどい埋葬をしたりといった例は全国的に多いのです。千葉県でも、具体的な場所は言いませんが、九十九里のほうで、ある陸軍部隊の曹長が、隊長の命令により、飛行機が墜落して重傷を負った米兵(少尉)の首を日本刀ではねる(意識不明の米軍少尉が自決出来るはずもないのに、戦犯となった人々は「介錯」と主張)という事件がありました。直接手をくだした曹長は逃亡し、その曹長の上官である隊長たちが刑に服して、隊長(大尉)は死刑になり、逃亡した曹長はあとで逮捕され終身刑を宣告されますが、10年間服役した後、戦犯解除されました。でも、ずっと戦後も隠れるように暮したという話があります。

成田のほうでは、日本軍によって撃墜された米軍機のパイロット(中佐)の遺体を、馬の埋葬場所に埋葬し、戦後になって米軍が調査に来ると聞いて、あわててその遺体をお寺の墓地に埋葬しなおし、英雄の墓として供養したので、調査にきた米軍やそのパイロットの息子さんから感謝されたという笑えないような話もあります。

木更津の例は、影山さんという山間部にお住まいの普通の方が、戦死者には国の差などない、みんな平等だという考えのもと、まだ終戦から6年しかたっていない1951年にB29墜落でなくなった米兵の供養のための慰霊碑を山のなかに建てたのでした。その影山さんは既に故人となり、今は息子さんが慰霊碑をまもっていますが、淡々と普通のことのように慰霊碑をまもっているそうです。
実はそのB29は横浜空襲で横浜を爆撃したB29のうちの一機で、戦後間もないころ、軍国主義の考え方が消えていないころに、その搭乗員の供養といって慰霊碑を建てるのは、ちょっと勇気のいることで、影山さんは一部のひとにしか、その慰霊碑のことはいいませんでした。息子さんに話したのも、慰霊碑を建てて30年後です。

でも、信念をもって、こういうことを人知れず行ったのは、素晴らしいと思います。