愛の国から幸福へ

イメージ 1

「愛の国から幸福へ」という歌。なんと1974年にはやったそうで、あたしのお母さんの若いころの歌です。この頃は、ディスカバー・ジャパンを合言葉に若者が方々旅行するのが、流行だったようで、当然そのなかには鉄道マニアもいて、多分SLなどを撮りまくっていたのでしょう。
最近、撮り鉄がいろいろ問題になっていますが、当時はそんなこともなく、みな好きに撮っていたと思います。

歌は芹洋子さんが歌い、透明感があって、明るくのびのびした感じ。



SLで動態保存されているのは、今はすごく少なくなりましたが、当時はまだ結構ありました。といっても、あたしが知る筈もなく、お父さんから聞いたのですが。機関車って、実際に乗っていると、トンネルに入るときには煙が中に入ってこないように窓をしめるそうです。そうしないと、黒い煙がトンネルの中でこもって、客車にも入ってくるからだそうです。

「愛の国から幸福へ」の歌のもとになった愛国駅と幸福駅は、どちらも国鉄広尾線で、愛国駅の方が帯広からのキロ程で11km、幸福駅は22kmとその間11kmしかなかったんですが、縁起が良いということで若い男女がその区間の切符を二枚買うというのがブームになり、実際に乗車する人はそれほどいなかったようですが、とにかく切符が売れるので国鉄の変わった収入減になりました。

でも、その愛国という駅名は、明治の終わり頃に、その近くに入植した愛国青年団にちなんだもの。幸福のほうは、最初幸震という地名だったのが、福井県からの入植者が多かったということで、福井の「福」をとって、幸福になったとか。だから、開拓の血と汗のしみ込んだ土地をSLが走っていたということになります。芹洋子さんの歌ではなく、本当は演歌が似合う土地柄かもしれません。

その広尾線の画像もYouTubeにありました。