「陸攻が落ちる!」

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これは、ある女性の子供の頃のお話です。

それは、戦後20年ほどたった頃で、その女性はまだ小学校3年生でした。加藤ヒロ子という、その女の子の家では、当時白い犬を飼っていて、「シロ」と名付けてかわいがっていました。ある日曜日のこと、ヒロ子ちゃんはいつもと同じようにシロと散歩していたのですが、ふだんは入らない林のなかに、なぜかその日に限って入って行きました。

大阪への通勤圏である、その場所にも、その当時はまだうっそうとした林が残っていたのです。

林のなかに、大きなヒノキの切り株があったのですが、林のなかを歩いているうちに、その切り株のところまで来たところで、ヒロ子ちゃんは気分が悪くなり、急に倒れてしまいました。ばったり倒れながらも、ヒロ子ちゃんは最初は意識があり、シロが自分の周りを心配そうに行ったり来たりしているのも分かっていたのですが、そのうちスーっと意識がなくなったのです。

シロは急に倒れたヒロ子ちゃんの周りをぐるぐるまわっていましたが、ワンワンと吠えると、林から少し開けたところに出て行きました。

たまたま近所の田中さんのおじさんが野草を採りに来ていて、林から白い犬が吠えながら出入りしている様子が見えました。近くに来てみると、白い犬は「こっち、こっち」というように、おじさんを先導して早足で歩いて行きました。

見れば、女の子が倒れています。「加藤さんとこのヒロ子ちゃんやないか」、失神しているような状態におじさんは驚いて、ヒロ子ちゃんを抱きかかえると、シロと一緒に、女の子の家に連れて帰りました。加藤さんの家では、お父さん、お母さん、ヒロ子ちゃんのお兄さんがいたのですが、田中さんが連れて帰ったヒロ子ちゃんの様子を見て、突然のことに大騒ぎになりました。

ヒロ子ちゃんは、家に帰っても意識が戻らず、布団の上に寝かされていましたが、熱があって、ぐったりしていました。時折、うめくような声をあげ、何かを言っているようなのですが、よくわかりません。さっそく、ヒロ子ちゃんのお父さんとお母さんは、お医者さんに往診を依頼し、来てもらったのですが、どういう病気なのかもよく分かりません。ただ、状態はひどく悪いようでした。

お医者さんは、とりあえず熱さましを置いていったのですが、容態が変わったら、すぐにまた連絡するようにということでした。

熱さましを飲ましても、ヒロ子ちゃんは相変わらずうなされていました。

「キンシカガヤク、日本ノ・ハエアル・・・今コソ・・・」

ヒロ子ちゃんが、とぎれとぎれに何やら歌いだしたので、ご両親は驚きました。

「これは、『紀元二千六百年』やないか。ヒロ子が、こんな歌知ってるはずあらへん」、お父さんが声をあげました。「きんきって、近畿地方のこと?」お母さんが聞くと、お父さんは不機嫌に「アホ、キンキやない、キンシや。金鵄勲章の金鵄。神武天皇さんが東征のおりに・・・、まあどうでもええ」と言いました。また、お父さんは、お母さんに、ヒロ子ちゃんの言うことをメモするように、言いました。

それから、まもなく、またヒロ子ちゃんは、うわごとを言いました。

「海軍 ニセイソウ ムラセタダシ」

「フジサン ガ キレイダ」

「ショウイ リッコウ ガ オチル」

意味が分かりません。でも、お父さんは、「海軍や、海軍の軍人が、ヒロ子にとりついてるんや」と言うと、ヒロ子ちゃんのお兄さんに向って、「裏の下川さんを呼んできてくれ、あの人は海軍出身や」と言いました。下川さんは、ヒロ子ちゃんのお父さんよりは、だいぶ年上で戦争中海軍の飛行機の操縦士だったという人です。

しばらくすると、お兄さんは下川さんを連れてきました。また、田中さんも心配で、一緒に来ました。

下川さんによれば、ムラセタダシという軍人が官姓名を名乗っている、ニセイソウとは二等整備兵曹のことで、飛行機の整備か何かを担当していたひとではないか、それが「リッコウ」、つまり陸上攻撃機に乗っていて、事故か何かで、機長である少尉に「陸攻が落ちる」と言ったのではないか、なぜヒロ子ちゃんがそんなうわごとを言うのかは、さっぱり分からないということでした。

お父さんは、その話を聞くと、「ムラセさん、あんたうちのヒロ子どうする気や、関係あらへんやないか」と、ヒロ子ちゃんに向かって言うと、みんなに拝め、とにかく拝んでくれと言いました。例によってお母さんが、「お経なんか知らん、お題目しか知らん」と言うと、「アホ、お題目でええ」と言いました。

田中さんは門徒でしたので、お念仏、加藤さん一家は日蓮宗で、お題目と、みなばらばらでしたが、ひとしきりお祈りすると、急にヒロ子ちゃんが起き上がり、「みんな、どうしたん」と目をこすりながら言いました。お母さんは、「ヒロ子」と言ったきり、泣きました。こうして、ヒロ子ちゃんは、助かりました。

ヒロ子ちゃんは、夢のなかで、大きな門のある家にはいって、そこで国民服をきっちりと着た若い男性から歌を教わり、一緒に歌っていたのです。

あとで分かったことですが、戦時中、一式陸攻が夜間演習から戻る途中、明け方になって天候が急変して落雷にあい、墜落する事故があり、その事故現場があの林だったのです。そして、ヒロ子ちゃんが倒れた場所のすぐ近くに、その際の慰霊碑が埋まっていて、あとで田中さんたちが掘り出してみると、そこには「海軍一等整備兵曹 村瀬忠志」という、ヒロ子ちゃんがうわごとで言っていた名前が彫ってありました。また、二等整備兵曹ではなく、一等整備兵曹とあったのは、事故で亡くなった後、特進したためでした。

ヒロ子さんは、あの時のことを時々思い出しますが、村瀬さんがすでに天国に行ったことを信じています。