南京!南京! 本当に怖い画像

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南京虐殺について、中途半端な記事を書いた罰でしょうか。

あるいは、松井石根陸軍大将について、あっさりと「死刑になりました」とすませてしまったからでしょうか。

何気なく、南京シリーズで動画を見ていましたら、ついに本当に怖い画像を見てしまいました。天の配剤の妙ですね。
たぶん、今晩寝るのは無理だと思います。

南京虐殺がなかったなどという、愚かなことを言う人は、皆で生き埋めにされたり、並ばされて機関銃で撃たれた人と、同じ思いをするべきです。その恐怖は、筆舌に尽くしがたいと思います。

あとでみた、虐殺をした側の元兵士の残した陣中日記でも、1万人ほどの捕虜の殺戮を「使役」で手伝ったなどという、恐ろしい証言が記述され、それがまったく別の兵士の陣中日記にも同じことが書いてあったり、生々しい当時の文書がいろいろ残っています。

そうした、中国の罪もない一般市民や捕虜となった中国兵を殺戮したのは、日本の普通の「皇軍兵士」たちでした。家に帰れば、いいお父さん、地域の模範青年なのに、虐殺に加担した、それも略奪や婦女暴行を行い、ばれるのが嫌であいてを殺してしまった例がたくさんあります。あとは捕虜の大量殺戮です。それが無性に悲しいです。

司令官だった松井石根中将は、兵士の暴挙を見逃したのではなく、その配下の将官を含む軍人たちが組織的にやらせていたのを黙認していたのではないでしょうか。

しかし、やはり良心の呵責はあり、興亜観音を作って拝んだり、お坊さんの真似ごとをしたのだと思います。

日本は武力によって、中国に負けたのではありません。軍事力においては、日本は中国より優位であり、占領地域もあったのですから、物量と軍備だけを見れば日本は中国に勝てたはずです。ところが、何年たっても日本軍は、局地戦ではともかく、南寧会戦のように一師団があわや全滅させられそうになったりして、中国軍に勝つことができませんでした。それは陸軍の杉山元帥が、昭和天皇に上奏して太平洋戦争を始めようとしたときの会話にもあらわれています。

中国大陸でも、のちに大陸打通作戦という南北を一気に縦断し、中国南部をたたくという無謀な作戦が実行されたりしますが、全体的に兵站が軽視され、食糧などの現地調達が基本とされ、軍票がなかなか使えないことから、自然と兵の現地民からの略奪が起こるようになり、それは婦女暴行と表裏一体でした。

兵隊は缶詰などで食糧をもらっても、背嚢が重く、寝るときに不自由なので、缶詰は途中で捨ててしまい、中国の農家から鶏や手軽な食物を盗むのだそうです。日本兵の多くは、都会のインテリ層もなかにはいましたが、軍隊に入って初めて白米を食べたような貧農や零細民の出身者も多く、一部には知的障害者やヤクザ屋さんのような犯罪に手を染めた人もまじっていました。そういう人たちは、人権意識が薄く、差別意識から中国人など人間と思っていないこと、軍隊内の階層で下に置かれた人たちは不満のはけ口を現地の人に求め、長い野戦で女性に飢えていたこともあって、略奪の際戦利品のように中国の若い女性を襲いました。勿論、それは軍律違反ですので、発覚をおそれて相手を殺すことがよくあったようです。もっとも、組織的に略奪などを行ったケースもあり、南京での柳川兵団の暴行の例を引くまでもなく、いたるところで軍律が乱れていました。

こうして、日本軍自体は、軍律も守れない軍隊となって、自滅したのです。

以下は、中国の人を日本兵が日本刀で斬首する場面など、映っていますので、気の弱い人や、心臓に病気のある方は見ないでください。



あと、南京虐殺をした日本軍の元兵士からの聞き取りを地道にされている福島県の方の活動を記録した、ドキュメンタリーの映像もありました。こっちをみると、なんだかホッとします。



ちょっと、きょうは一日、静かにしています。

日中両国の戦争犠牲者の方のご冥福を祈りします。  愛国花子 

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(写真は、南京のものではなく、もっと南方の海防の慰安婦の女性たち)