軍隊悪口言葉

イメージ 3

大寒小寒、山から小僧が飛んできた
何と言って飛んできた 寒いと言って飛んできた

最近ほんと、寒いですね。
オーさぶさぶ、北島さぶろう。

寒い日には、もっと寒くなる悪口言葉はどうでしょう。

昔の陸軍では、いろんな悪口言葉がありました。田母神みたいな、偽物軍人の書いた本にも、新しい歴史教科書にも出て来ません。

なーんてね。

1.関西の歩兵連隊への悪口言葉

昔、関西の陸軍の部隊は弱いと言われたので、こんな悪口言葉がありました。

「またも負けたか八連隊、それでは勲章九連隊(くれんたい)」

大阪の陸軍歩兵連隊は第八連隊、京都は第九連隊でした。

でも、あたしのおじいさんも同じ第四師団隷下の野砲兵連隊の出身だから、言う訳ではありませんが、歩兵第八連隊がそんなに弱かった訳ではなく、別に負け戦もしていないのです。こういう言葉は第四師団の前身大阪鎮台ができた頃からあったようで、大阪は商人の町で、兵隊の編成も商工業者の比率が高く、旧武士階級ではない連中が多いとの、なんとなくのイメージから言われたかも。だから、この悪口言葉の根拠ははっきりしないのです。

イメージ 1


2.輸送専門の兵隊への悪口言葉

陸軍のごく初期に馬卒と言われた輸送専門の兵隊がおり、後に輜重輸卒と呼ばれたのですが、雑卒として正式の兵隊扱いされませんでした。

「輜重輸卒が兵隊ならば、蝶々トンボも鳥のうち
 輜重輸卒が兵隊ならば、電信柱に花が咲く」

雑卒扱いの輜重輸卒は、何年たっても歩兵の最下級の二等卒(二等兵)よりも階級が下だったのです。輜重輸卒は武装せず、物資運搬専門でした。階級章も星のない、「赤ベタ」というものでした。
輜重兵というのもありますが、これは別で、同じ輸送を任務としていても、きちんと武装していました。この輜重兵は名前が似ていますが、兵科の普通の兵隊でした。しかし、輜重兵も歩兵などからみると、軽んじられていたようです。これは、日本軍が兵站を軽視していたことに関係しています。

イメージ 2

3.兵隊全体への悪口言葉

あと、兵隊全体については、「将校下士官馬兵隊」というものがあります。軍隊での位置付けが、将校>下士官>馬>兵隊 で兵隊はたいした訓練も要らず、手紙一通で集められる、だから、兵隊は馬以下というもの。

こりゃ、つらかったでしょうね。

ニンニン。

なお、二番目の写真は日中戦争当時の広東での小行李の行軍で、前の人は下士官ですので輜重輸卒とかではありませんが、イメージとして掲載しています(画像は森たけ男さんからお借りしました)