靖国神社の境内でみた、小笠原流、草鹿式弓道

今日も、いつものように、靖国神社に行きました。でも、何かあるのか、少し人出が多いのかも。

三連休で都内に残っている人が、暇つぶしに来たのかな。見ると、陶器市をやっている様子。でも陶器市をやっているからといって、そんなに人は来ないはず。

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休憩所をみると、一丁前に「(麻生)太郎ちゃんまんじゅう」と「さよなら!純ちゃんまんじゅう」を売っていました。ヤダ、絶対に食べたくない。英語でいうと、"Absolutely disagreeable!"
「とんずら康夫君まんじゅう」とか「ずっこけシンゾーちゃんまんじゅう」とかはないの?

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1887年(明治20年)に建てられた第二鳥居の手前に一対の大燈篭がありますが、これは富国徴兵保険相互会社(現在の富国生命)が建てたもの。向かって、左の燈篭には陸軍関係のレリーフが、右の燈篭には、海軍関係のレリーフがあり、陸軍の方はよく分かりませんでしたが、海軍のほうは有名な広瀬中佐のレリーフがありました。徴兵保険なんて、5才から掛けられ、徴兵されると給付されるというもので、大儲けした会社が記念に建てたものですから、なんか複雑。

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それに、日清日露のころから、外国に攻めていったのですから。それで「軍神」とかいっても、攻めてこられたほうにとっては、迷惑な話。北清事変を題材にした、「北京の55日」なんて歌もありました。


でも何で混んでるのかなー? イベントをみると、「海軍兵学校第6X期慰霊祭」とか。。。別に普通じゃん。おかしーなー、と思って進むと、理由が分かりました。

社殿の横、遊就館の手前の広場で、弓をやっていました。それを見ている人で、黒山の人だかり。

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これは、弓の小笠原流、草鹿式(くさじししき)でした。しかも、鎌倉の鶴岡八幡宮で行われるような流鏑馬ではなく、歩射の形をとっています。ちょっと珍しいんじゃないでしょうか。女のひとも弓を引いています。かっこいい。的をみると、バンビみたいな鹿の形をしたものでした。これも、草鹿式だから?

ちなみに、「草鹿」といっても、海軍の草鹿(くさか)任一中将や草鹿龍之介中将とは関係ないです。草鹿龍之介中将は、弓のほうではなく、剣のほうで一刀流の免許皆伝の武道家だったそうです。

この小笠原流、草鹿式の弓道は当たりはずれを自分で申告して、何か自己評価しています。当りかどうかは、射た人と的奉行が問答し、的奉行が総合的に判断して決定します。それも、珍しいのでは。
「いやー、今日も快調ですね。的のど真ん中にバッチシですよ」なんて、自慢している人はいませんでしたけど。

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遊就館には、写真のような八九式十五糎加農砲とか、いろいろな大砲が展示されています。重厚な、それこそ鉄の塊のような古い大砲から、機関銃を少しおおきくしたような海軍の小型高角砲まで。

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でも、元をただせば、弓矢が原点であり、それは原始時代から古代、中世、近世と、連綿として使われ、いまだにこうして演武などあるのですから、不思議な感じがします。

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