知恩院の忘れ傘

京都知恩院、しっとりした女になりたい、あたしは、その御影堂に上がって、座禅を組み、祈りをささげました。あれ?宗派が違っている? 

しまった!知恩院は浄土宗。あたしの家は、臨済宗。やっぱり、ここでは座禅はだめなのかな? とにかく禅宗じゃないのね。

そそくさと、帰りかけたあたしの目に、ガイドさんのような男性に案内されたギャル4人がお堂の廊下に出て行くのがうつりました。
なにやら、ガイドさんが長い竹ざおで示しているポイントには、「忘れ傘」があると案内板にあります。

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これは、眠り猫などの彫刻で知られた名工、左甚五郎が魔除けのために置いていったという説と、知恩院第三十二世の雄誉霊巌上人のときに御影堂を建立した際、このあたりに住んでいた白狐が、自分の棲家がなくなるので霊巌上人に新しいお家をつくってほしいと頼み、つくってくれたお礼として、傘を置いていったという説があるそうです。それから、泥棒が忘れたという説も。

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たしかに、軒の梁の間に、傘の頭の部分がちょこんと出ています。だいぶ古い傘のようですが、雨傘ですから火災除けのために置いたというのが本当のところなのでしょう。

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前回三門にものぼりましたが、そこにも三門造営を行った大工の棟梁である五味金右衛門夫妻の木像をおさめた白木の棺というものがあります。三門造営の予算オーバーの責任をとって五味金右衛門夫妻は自刃したと伝えられますが、その像はどうみても老年の出家姿で、なくなった後に子孫の人が遺影を偲んでつくったのではないかと思います。

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ただ、あたしにとって、三門の横についている、急な階段のほうが七不思議です。角度は45度くらいの傾斜、手すりはあっても一番高い部分ではなくなり、つるつるすべる。ああ、こわ。。。
前回のぼったときには、やはりいつものことながら、そういうときに限って、ミニスカ姿のあたし、パンチラ(というよりパンモロか)を気にする余裕もなく、一気に駆けてはいませんが、のぼりました。
でも、踊場で手すりがなくなったときには、まいりました。

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三門には解説をする女性のガイドさんがいましたが、のぼるのこわくなかったのかな。パンストとかをはいているとすべるので、素足でのぼったのでしょうか。そっちのほうが七不思議ですよね。

帰りにおみやげで、お香を買いました。