わるい子の童話「カバン屋さんの三兄弟」

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関西のある町に、あるカバン屋さんがありました。

そこにはご主人のマコトさんと弟さん、それにマコトさんの四男の菊男さんが働いていました。
その店は関西一円でも有名なお店で、人柄のいい社長のマコトさんと良く働き製造を担当している弟さん、デザインのセンス抜群な菊男さんが、いいチームワークでやっていました。マコトさんで三代目の老舗で、自分の目の届かないところには営業しない、製品の品質を大事にし、カバンには無駄な飾りなどはつけないというのがそのお店のモットーでした。

菊男さんには三人の兄がいましたが、次男であった次郎さんは子供のころになくなり、長男の太郎さんと三男の三郎さんは良い大学に進んで、大きな会社に勤めていました。マコトさんは、息子たちが立派に成人し、特に太郎さんと三郎さんが大手の会社に勤めていたのが自慢でした。でも、長男の太郎さんは就職した先がすこし離れていましたので、実家には月に一度くらい戻る程度でした。それに、いい大学をでているのに、性格的にいい加減なところが多少ありました。

一方、菊男さんはマコトさんに自分を認めてもらいたい一心で、家の仕事に精を出していました。ただ、菊男さんは少し体が弱く、時々お店を休むことがありました。マコトさんは、将来は菊男さんにお店を継がせるつもりでしたが、菊男さんが少し体が弱いのを心配していました。また、オイルショックの影響で、世の中が不況になり、お店の売り上げも落ちているのがマコトさんの心配のたねでした。

その頃、急に三男さんが勤めていた会社をやめ、家に戻ることになりました。それはマコトさんがお店の売り上げが減っているのを心配していたのを聞き、一つお父さんのために働こうと思ったからです。三郎さんは、お寺や自分の卒業した学校などをまわって、カバンを売り込みに歩きました。すると、大口の注文がとれるようになり、お店の経営状態は良くなりました。これで一安心と思ったマコトさんは、「もう三郎も店に戻ったし、三郎のおかげで店の売り上げもあがった」と考えたので、三郎さんにお店をまかせることにしました。

そして、マコトさんは三郎さんにお店の経営をまかせました。本当は菊男さんが継ぐはずだったのに、また三十年も菊男さんはお父さんと一緒に頑張ってきたのに、そう思うと菊男さんの心は曇りました。三郎さんの営業の腕で、お店の売り上げが伸びる一方で、今まで次期社長と思って菊男さんに接していた従業員も、三郎さん側に皆ついてしまったようで、菊男さんに対する態度も変わりました。

また三郎さんは、自分が社長になると、家訓で決まっていた、目の届かないところには営業しないという言葉に反して、デパートの催事や通信販売などにも積極的になっていきました。マコトさんは、次第に三郎さんのやり方に不満を持つようになりました。また、菊男さんは、菊男さんで、お父さんから見放され、三郎さんやおじさんや従業員も自分をのけ者にしているように思い始め、ついに体調不良を理由に自分からお店をやめてしまいました。本当は、好きで好きでたまらない仕事だったのですが。

マコトさんは菊男さんがやめてしまったことに、心を痛めました。「ワシが菊男をやめさせたんとちがうか」と思い、店の経営の仕方も次第に今までの堅実なやり方とずれてきていると思い出しました。「やっぱり、菊男に店を継がせるべきやった、なんで三郎にまかせたんか」、そう思うと、マコトさんはある日、三郎さんと言い争ってしまいました。それで、怒った三郎さんは、「店を建て直したんは、このワシや」といってしまいました。「お前、それが親に・・・」とマコトさんはいうと、急に倒れました。脳内出血をしたのです。「おやじ、どうしたんや、おやじ。。。」、三郎さんや三郎さんの奥さんは、マコトさんを急いで病院に運びました。

マコトさんが入院したのを聞いて、長男の太郎さんも戻ってきました。ある日、太郎さんとマコトさんが二人きりになったとき、マコトさんが切り出しました。「太郎、お前もう定年やろ。店をみたってくれるか。菊男のことも頼んだで」
もちろん、太郎さんは小さい頃からお父さんの苦労は知っていましたので、承知しました。そして、自分が長い間、実家から離れていたことを後悔しました。ある日、マコトさんは密かに原稿用紙に書いていた遺書を太郎さんに託しました。それは、お店の経営を太郎さんと菊男さんにまかせるというものでした。

その後、マコトさんはなくなり、お店は遺言通り、太郎さんと戻ってきた菊男さんが継ぐことになりました。太郎さんは、まだお店に居座っている三郎さんに対し、お父さんが晩年に抱いていた感情そのままに、「お前が親父をあんなにしたんや、社長解任や」と怒りをぶつけました。そして、本当に三郎さんをお店の社長の座から追い払ったのです。これを面白半分にマスコミが取りあげましたが、太郎さんは怒りに任せて、新聞やテレビにむかって暴言を吐いてしまいました。
しかし、お店の社長を解任されて、不満に思った三郎さんは、お店の機械も従業員も仕入先もお客も帳簿も一切もっていってしまい、別のお店をつくりました。太郎さんや菊男さんは、もぬけのからになったお店をみて、呆然としました。

でも太郎さんはあきらめません。太郎さんは長年の会社生活で培った法律の知識で、商標権差し止めの申請をして、三郎さんは元のお店の商標がつかえなくなりました。また、太郎さんは帳簿や機械を返すように、裁判所に訴えました。そして、いろいろなひとにあたった結果、関西から原料を提供してくれる会社や縫製を手伝ってくれる会社など、元のお店を応援してくれる人たちがあらわれ、従業員も集まってきましたので、元のお店も復活しました。その復活初日のとき、三郎さんのお店にうつった従業員は、元のお店の前に並んでいる人にむかって、「このお店の品物はニセモノです。買わないようにお願いします」と言いました。また、新聞やテレビも三郎さんの味方をしました。

多分、三郎さんはご先祖様が作った元のお店が潰れればいいとおもったのでしょう。自分がつくった新しい店さえ残ればと。でも、マコトさんの遺志は、ちょっといい加減なところのあった太郎さんとデザイン一筋の菊男さんが継ぎました。菊男さんではなく、やはり長男の太郎さんが社長になりましたが、菊男さんは、昔ながらのデザインで、カバンを作る責任者になりました。

時々、懐かしいカバンが修理のために店に戻ってきます。そのたびに菊男さんは、マコトさんと一緒に仕事していた頃を思い出します。マコトさんと一緒に作ったカバンに囲まれて、菊男さんの気持ちに平安が戻ってきました。

(なお、この話にはモデルはありません。あったとしても事実は少し違うでしょう)