京都知恩院から祇園どすえ

先日、京都の知恩院などに行ってきたと書きましたが、知恩院でももちろん見たのは三門だけではありません。

だけど、三門って英語でなんていうのかな。もし、外国人に説明を求められたら、どうしましょう。
"Three gates"じゃ、分からないし。

What is this?
Hanako: This is the Sanmon.
What is the Sanmon?
Hanako: The gate of Japanese old temple with ... , Au,Au...

でも、外国人の人から、誰にも説明を求められませんでした。あたしに聞く人は、そりゃいませんよね。

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だけど、この三門にあがるのは、もうないでしょうけど、いっそエレベーターをつけるとか、階段でももっと傾斜の緩やかなものにするとかしたほうがいいんじゃないの。特に10mほどのぼって、90度方向をかえてまた短い階段をのぼるとき、おどり場が狭すぎ、一瞬手すりもなくなるので落ちそうになります。内部の説明をする女性も、スーツにスカートでしたが、よく登れたなあと思いました。

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西本願寺のお堂も大きかったですが、知恩院の本堂も大きいです。例の忘れ傘もまだありますが、見たけれど曇っていたのでちと暗く、よく分かりませんでした。お賽銭箱もそうですが、ところどころに葵の紋があります。「この紋所が目に入らぬか」とかね。徳川家康さんと関係があるみたい。徳川家って、知恩院さんの信者なの?知らなかった。

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知恩院のお土産でお線香を買いました。お仏壇に供えるというより、香炉で焚いてみようかなって思いましたので。そこの売店のおばさんから、一澤帆布が営業を始めていることを聞き、行ってみることに。そして、元きた道を引き返しました。なお、お家騒動で二軒並んで営業しているとのことでした。

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たしか、知恩院さんと祇園さんの間にあったような?? よく分からないので、八坂神社の筋向いのお店で聞いたところ、出てきた知恩院のもっと北側の道路沿いだと分かりました。前にも来たことあるのですが、随分たちますので、すっかり忘れていたんです。

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ああ、確かに新しい店が出来ています。「信三郎帆布」というのが新しいお店です。なにしろ、三男さんが前の社長で、その前の社長が死んだあとの相続をめぐって、遺書が二通でてきて、新しい遺書が有効ですので、その遺書にしたがって長男さんと四男さんが会社を引継ぎ、社長を解任された三男さんが遺書はニセモノだといって会社の機械も、従業員もお得意さんや仕入先まで、みんなもっていって新しく店を作ったそうなんです。それで怒った長男さんは、勝手に持ち出した機械の返還や商標使用差し止めを裁判所に訴え、三男さんは一澤帆布の商標も使えなくなりました。
その新しい店にはけっこう人だかりがありました。
あたしも見てみましたが、派手な色のものや柄物が多く、昔よく京都や阪急電車のなかとかでも持っている人がいるのを見かけた、一澤帆布のシンプルな感じではないように思いました。

一方、「本家」の一澤帆布は、信三郎帆布より多くはありませんでしたが、こちらも店の中は大勢お客がいました。こちらの店に入り見てみると、昔の一澤帆布の品物が並んでいました。それで、青いショルダーを買いました。お店の女性の店員さんが、ショルダーの肩紐の調節の仕方を教えてくれました。

なんか、マスコミとかが騒いでいたのと、話が違うんじゃないの?なくなった先代のお父さんが長男さんに会社を継がせたというより、ずっと一緒に仕事をしてきた四男さんに継がせたくて、経営は長男さんでもまあいいかと思ったんじゃないでしょうか。四男さんはお父さんとやっていた1970年代当時のまま、忠実に昔の品物を継承し、1980年代に舞い戻ってきて社長になった三男さんは自分で新しいものを作りたかったんだろうと思います。
それで、お父さんや四男さんと三男さんが対立し、銀行を定年退職した長男さんが加わって、お父さんの死後会社の相続をめぐる騒動となったんでしょう。その長男さんの話しぶりにも少し問題があって、あたかも外部から会社を乗っ取ったように思っているひとがいるようですが、長男さんは就職したのが銀行であっただけで、もともとその家の人ですから家業の知識はあるようです。

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ショルダーのなかもよく見てみましたが、しっかり縫ってありました。四男さんが1980年にデザインしたものとタグが縫い付けてありました。兄弟げんかというより、お父さんのかげを感じるのは、あたしの考えすぎでしょうか。脳梗塞で倒れて不自由になった身で、もともと会社にいなかった長男さんとずっと一緒に会社をやってきて途中退社した四男さんに相続させるように、あたらしく遺書をつくったのには、お父さんの考えがあったのでしょう。

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しばらく祇園を歩いていますと、京都美術倶楽部の建物が目にとまります。そのあたりは、骨董屋さんがたくさんある町。あれー?なんでも鑑定団の鑑定士の人が歩いていました。よく掛軸の鑑定をしている割と若い鑑定士さんです。おもわず、挨拶しそうになりましたが、こっちは向こうを知っていても、向こうはこっちを知らないのです。

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この辺は「新門前」(しんもんぜん)といいます。新に対して、「古門前」(ふるもんぜん)という通りもあり、両方に骨董屋さんがありますが、鑑定士の人が歩いていたのは、「古門前」のほう。
新門前の骨董屋さんで、一軒面白い店を見つけました。狛犬の頭の上に欄間がのっています。これもアンビリーバボー? 割とお手軽な値段のものを置いているみたいで、有名なお店のようです。

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また、京阪三条駅附近に戻ろうと歩いていると、英語で話す声がしました。見ると、アジア系ですが、日本人ではない女性たちでした。あたしと年も近いだろうし。ヤバイ、今度こそ道を聞かれそう。そういう場合は、どうします? 外国人に道を聞かれると、アホになるとか。オモロー!

幸か不幸か道は聞かれず、京阪三条駅前から京都駅まで戻ったのでした。

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