あなたの知らない世界2

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あのー、会社の名前はいえないんですが、○○社という有名な地図の会社の作っている地図で、志津城跡が、佐倉市小竹(おだけ)に表示されています。小竹というのは、京成あるいはユーカリが丘線ユーカリが丘駅から歩いて20分位のところにある集落です。

その○○社の地図をもとにしたWEBサービスでの、その地点のURLが、以下です。
志津城跡は、リンクした地図に表示されます。地図が表示されたら、拡大してみてください。
「志津城跡」と出てきます。


ところが、本当の志津城跡は佐倉市上志津にあり、天御中主神社はその城跡の一部だそうです。これは、専門書にものっており、公に認められています。異説があって、下志津(例の四街道に移転するまえの陸軍砲兵射的学校があった場所の近く)にある報恩寺一帯が志津城だという説もありますが、これは志津大口館といい、一般に言う志津城ではないようです。
実は志津城には志津氏という臼井氏の一族がいて、本家である臼井氏の居城、臼井城を乗っ取ろうとして、追い出した臼井氏の若殿により、後で謀略によって攻め滅ぼされたという伝説があります。そのとき、志津氏の奥方が、自ら薙刀をふるって戦ったとか。

その公式に言われている志津城の場所を同じ会社のURLで示すと、以下のようになります。


単に、プリントミス?

そう思いたいのですが、実は前の「志津城跡」と書いてある場所にも土塁があるそうです。ちなみに佐倉市小竹には小竹城という別の城がありますが、それはもっと南で数百メートル離れており、同じ地図でもその場所にちゃんと「小竹城跡」と書いていますから、「小竹城跡」は正しく認識されているのです。なお、他に小竹には館跡があったらしいですが、土取りのために消滅したとのことで、もちろんこれは地図には出てきません。

これって、どういうこと? 
小竹城の出城のような城があって、それが間違えられて「志津城跡」と書かれたのでしょうか。でも、なぜ電車で一駅離れている別の地区にあるものを、「志津城跡」と呼んでいるのでしょうか。

ちょっと怖い。

なお、この話は森たけ男さんのうけうりです。ちゃん、ちゃん。

(写真はモノレールのユーカリが丘駅