新京成電鉄とは

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「しんけいせい」とうつと、「神経性」って出てくる、これいかに。

新京成」って、変換してくれないのよね。

それはともかく、新京成電鉄について、調べてみました。
新京成というからには、京成電鉄の子会社、でも東京にも成田にも行っていません。津田沼と松戸の間のみ営業運転しています。ローカルだなあ。

その歴史は、終戦の翌年から始まります。

1946年(昭和21年)10月23日 会社設立。
1947年(昭和22年)12月27日 新津田沼駅(初代)~薬園台駅間営業開始。
1948年(昭和23年)8月6日 薬園台駅滝不動駅間開業。
1949年(昭和24年) 自動車事業営業開始。
1949年(昭和24年)1月8日 滝不動駅鎌ヶ谷大仏駅間開業。
1949年(昭和24年)10月17日 鎌ヶ谷大仏駅~鎌ヶ谷初富駅(現:初富駅)間開業。
1953年(昭和28年)10月21日 全線で軌道を1067mmから1372mmに改軌。
1953年(昭和28年)11月1日 前原駅京成津田沼駅間開業。2代目新津田沼駅開業。同駅(初代)~前原駅間廃止。
1955年(昭和30年)4月21日 鎌ヶ谷初富駅松戸駅間が開業し、全線開業(単線)。京成千葉線への直通運転実施(8月31日まで)。
1959年(昭和34年)11月30日 全線で軌道を1372mmから1435mmに改軌。
1961年(昭和36年)8月23日 新津田沼駅(3代目)~前原駅間開業。2代目の同駅は藤崎台駅に改称。
1968年(昭和43年)5月14日 新津田沼駅、現在地に移転(4代目)。同駅(4代目)~京成津田沼駅間開業。前原駅~藤崎台駅~京成津田沼駅間廃止。
1975年(昭和50年)2月7日 京成津田沼~新津田沼間1.2kmを除く全線複線化完成。
1979年(昭和54年)3月9日 北総開発鉄道線(当時)と相互直通運転開始。
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実は、その路線の前身は、陸軍鉄道連隊演習線です。そして、敗戦とともに、廃線になった(駄洒落じゃないよ)のを国の資産としていたようです。

新京成電鉄は、この旧陸軍鉄道連隊が演習用に敷設した線路を活用しようと、戦後京成電鉄が買収、この路線の運営する子会社として独立させたものだそうです。この鉄道連隊演習線跡地の買収を巡っては、西武鉄道も名乗りを上げて争ったが、地元で長い歴史をもつ京成電鉄がその争奪に勝って最終的に買収することになりました。その京成は鉄道連隊関係者が支援しており、いろいろな結びつきがあったと言いますから、戦後裏面史みたいなところもあるわけです。

その鉄道連隊演習線の線路やレールは特殊で、通常より幅の狭いものでしたので、京成が買収後、鉄道連隊演習線の軌道は京成電鉄の手で改修されることになりました。もとは演習線であるため、軌間が762mm(2フィート6インチ)と極端に狭く、京成の手に入った時に1,067mm(3フィート6インチ)に改軌され、その後も軌間を広げるべく、改軌されました。
また、旧満州など中国大陸の地形を想定して、カーブなどを多用したために、非常に曲がりくねった線形となり、営業運転するに効率が悪いために、ところどころで路線をかえています。

厳密には、元の鉄道連隊演習線の松戸側の終着点が三矢小台や陸軍工兵学校であったために、現在の新松戸に近い部分は、松戸の上本郷からの路線を現在のJR松戸駅に乗り入れる形で新設しています。曲がりくねった線形を補正するという意味では、大きくは初富~鎌ヶ谷大仏、八柱~常盤平~五香の間でショートカットし、元の演習線とはかなり外れたところを現在の路線が走っているとのこと。

この新京成線は、下総台地分水嶺にそって走っているために、川を越える鉄橋がありません。また曲がりくねった路線を補正したのですが、それでもカーブが多く、特に新津田沼駅京成津田沼駅間はつり革が踊るほど急なカーブです。ちなみに、その間に通過するJRの上を跨ぐ鉄橋の基礎は、鉄道連隊当時のもの。またこの鉄橋(跨線橋)については、鉄道連隊当時の話としてちょっと怖い話があります。

参考サイト:千葉県の戦争遺跡 
      http://www.shimousa.net/