けっこう女に優しく、駄洒落おやじでもあった織田信長

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織田信長というと、「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」とか、比叡山の焼討ちや長島一向一揆の弾圧をしたなど、冷酷なイメージがあります。また、新参の明智光秀豊臣秀吉滝川一益をとりたてる一方、譜代の家老であった林秀貞重臣佐久間信盛親子を追放しています。

でも、家臣の功績・能力に厳しい織田信長は、わりと女には優しいところがありました。
羽柴秀吉室杉原氏宛消息」という秀吉の妻おねに宛てた書状では、「秀吉はおんな好きで、お前のような立派な女房がありながら、不足を言っているようだが、言語道断であり気にするな。お前は以前あったときより、ずいぶんと女振りをあげた。どこを捜してもお前ほどの女を二度と再び、あの禿鼠めが女房にすることができるものか。これより以降は身持ちを陽快にして、いかにも妻女らしい重々しさを示し、かりにも焼きもちを焼くようなことがあってはならない」という意味のことを書いています。

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あの織田信長が、家臣の奥さんとかの女性に優しいなんて、意外。

それから、あの眉間にしわを寄せている端正な顔立ちに似合わず、駄洒落も言っています。

その昔、熱田神宮のある愛知県名古屋市の熱田は、今より海に近く熱田湊(港)という流通の拠点がありました。戦国時代に、その経済を握っていたのが、東加藤の加藤図書助順光(のぶみつ・兄)と西加藤の加藤隼人佐延隆(弟)の加藤兄弟。
桶狭間合戦のとき、織田信長の軍勢が熱田神宮で戦勝祈願をしたのですが、織田信長は自分のそばに、その加藤兄弟がいるのを見て、「今日の合戦はかとう」と言ったそうです。

桶狭間合戦といえば、今川の大軍を前に、織田家の存亡がかかった重要な合戦だったのに、そんな軽いノリで良かったのかな。

最近あたしも、会社のおじさんたちの影響で、駄洒落がはげしくなってきました。洒落は、すこし控えめにしてくだしゃれ。なんちゃって。