おまんじゅうのルーツ

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おまんじゅうというと、何を連想しますか?

1.あんこ
2.お茶菓子
3.「饅頭こわい」という落語
4.女のあそこ

1から3を選んだあなたは正常です。4を選んだ方は、ウチの社長のお友達と同じでちょっとHなのでは?
なにしろ、その方は良い人なんですが、ほんとうに女好きです。元気なおじいちゃんでブログも書いてますが、7割はエロい内容、あたしまでナンパしようとするのですから。

そして、おまんじゅうが元々どの国のものか、知ってますか?

1.日本古来のもの
2.中国のもの
3.東南アジアのもの
4.ポルトガル伝来のもの

これはちょっと難しいかな?

正解は2番。

もともとは、中国のもので、「饅頭」とかいてマントウと呼ばれ、普通は肉まんでした。三国志の時代に諸葛孔明が南征したおり、川の氾濫したときに、川の神に人柱をささげるという意味で、人の首を切って川に沈めていたのを、あまりに残酷なので、肉を小麦粉で包んだもので代用するようにしたのが始まりと言われています。これは三国志演義が書かれた頃の作り話とも言われ、もっと後の時代の食べ物というのが本当のところのようです。

日本におまんじゅうを伝えたのは、林淨因という中国人です。元の時代、仏教徒だった林淨因は京都の建仁寺のお坊さんと一緒に日本に来て、奈良に住み、昔から家で作っていた饅頭を作った。そして、その子孫が饅頭つくりを日本流にアレンジして、分家した京都の子孫とともに、饅頭を売って、足利将軍家の公認のもと、全国に広まるようになったということです。

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(京都の建仁寺

その林淨因の子孫が塩瀬総本家ですが、そのHPによると、
「塩瀬の歴史は、650年ほど前に遡ります。貞和5(1349)年、宋で修業を終えた龍山徳見禅師の帰国に際し、俗弟子だった一人の中国人が別れがたく随従して来朝しました。その人物が、塩瀬総本家の始祖・林淨因です。林淨因は暮らしの居を奈良に構え、お饅頭を作って売り出しました。これが、塩瀬の歴史の始まりです。
 当時、禅宗寺院は宗教学問の場だけでなく、上流階級の社交場として使われていました。淨因のお饅頭は、肉食が許されない僧侶のために、小豆を煮つめ、甘葛の甘味と塩味を加えて餡を作り、これを皮に包んで蒸し上げたもので、その画期的な甘味は寺院に集う上流階級に大評判となりました。」

その塩瀬ですが、あたしは兵庫県西宮市の北のほうにある塩瀬名塩の塩瀬かと思っていましたが、三河国設楽郡塩瀬村だそうで、応仁の乱で京都が戦乱の場所になったときにそこに疎開し、そこの地名を名乗ったようです。

おまんじゅうは、てっきり日本固有のものと思っていましたが、中国のものだったんですね。それが肉まんから、あんこの入った、今の形に変えたのは日本人の知恵なんでしょう。

(参考ホームページ)塩瀬総本家のHP:塩瀬の歴史
          http://www.shiose.co.jp/history.html