ソ連の初軍歌

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ソ連の国歌や軍歌を聞いていますと、いくつかの特徴があると思います。

1.テンポが比較的ゆったりしている

2.抑揚がきいていて、出だしが小さく、あとで盛り上がるか、最初からインパクトのある出だしか、どちらかが多い

3.行進するのに適している(モスクワ防衛軍の歌とか)

このソ連の初めての軍歌は、「鐘が鳴れば」という歌。

【作詞】
【作曲】赤軍

Белая армия,чёрный барон
Снова готовят нам царский трон,
Но от тайги до британских морей
Красная Армия всех сильней.

  Так пусть же Красная
  Сжимает властно
  Свой штык мозолистой рукой,
  И все должны мы
  Неудержимо
  Идти в последний смертный бой!


「鐘がなれば我先に 我等は突き進む」という関鑑子さんの訳詞で有名。

これは、内戦のときに作られたことが明白で、白軍と赤軍が戦っていたときに作られたものだそうです。「我等は突き進む」の部分は、「赤軍は勝ち進む」で、赤軍の軍歌として明確にしたほうが良いのかも。まだ、ロシア帝政の勢力が残っていた当時、白軍とバトルがあったのが、この歌の成立そのものの背景にあります。

1917年のロシア革命後に成立したボルシェビイキ率いる新政府は、ドイツの攻撃を食い止めることができず、1918年3月にドイツとブレスト・リトフスク条約を締結し、バルト三国などを割譲しました。これによって、旧帝政ロシアの白軍の勢力は、息を吹き返し、ある程度の力をもって、ソ連新政権に対峙し、1922年まで内戦状態が続いたのです。最後まで白軍が拠点にしたのは、シベリア沿海州で、関鑑子さんの訳詞のなかで「シベリアの山 バルチック海」といっているのはそのためです。このシベリア沿海州における白軍政権の崩壊で、内戦は終結しました。

その内戦状態のソ連に対し、当然ながら英米などの帝国主義勢力は干渉を行い、白軍に味方したのです。日本もその一つで、ソ連の成立に際して、干渉しました。

帝政ロシアVSソ連新政府、白軍VS赤軍の対立、という単純な図式でもなく、2月革命後の臨時政府の中心人物であるケレンスキーがボルシェビイキと対立したり、それにメンシェビイキと社会革命党が加わって、ぐちゃぐちゃになっていました。社会革命党(エスエル)の左派は、ボルシェビイキとともに十月革命後の革命政権の主要な一翼を担っていたこともありますが、この頃にはボルシェビイキと袂を分かつに至っていました。

結局、白軍の基盤が帝政ロシアの勢力で、その幹部が貴族出身で農民から収奪していた人々ですので、民衆からの支持を白軍は失っていき、また赤軍のほうが規律やモラルにおいても勝っていましたので、赤軍が白軍を下し、勝利を手中に入れました。

YouTubeにも、その動画がありました。ちょっと、画像が見づらいかもしれません。この音楽は好きですね。一瞬、日本の海軍軍人がうつりますが、誰でしょうか。