見つかった山本元帥の遺書
日独伊三国軍事同盟に反対だった山本五十六さんは、命を狙われていました。でも、1939年(昭和14年)年5月31日付「述志」に「此身滅すべし、此志奪う可からず 」と書いたのは、自分はどうなってもいいから、この志は何者にも奪われてはならないという決意からでした。
このはなしを知り、あたしは何だか涙が出てきました。
また、1941年(昭和16年)12月8日付の「述志」には、開戦に反対だったのに、連合艦隊司令長官として自分の考えと違う行動をせざる得ないという意味で、「私心ありてはとても此大任は成し遂げ得まじ」と書いていました。
参謀さん:「長官の郷里で市民の祝賀行列が催されたそうです…」
これにたいして、山本五十六さん曰く、「フン、その連中がな、いまに俺の家へ石を投げつけに来るよ」。山本五十六さんはそう答えたと、作家の阿川弘之さんが、その参謀さんから直接に聞いた話として随筆集「葭の髄から」に書き留めています。
最近は、世の中の道義の頽廃が著しく、とくに政治家や軍人も私利私欲に走る一方で、国民を無視したり、外国ともうまくやっていけないような、ひどいニュースばかりです。振り込め詐欺は、今度の定額給付もターゲットにしたとか。インターネットの世界でも、ネトウヨなどという不逞の輩もいます。
世の中の悪を滅ぼすために、そういう人たちを一掃するために、あたしたちは戦わねばならない。そう山本五十六さんは、あたしたちを天国から励ましてくれているんだと思いました。本当に、泣けてきます。
山本元帥、ありがとう。・・・こりゃ、ちょっと言い過ぎかな。
写真:「述志」1939年のもの =大分県教委提供